今から156年前、薩摩などの新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争。その激戦地・福島県会津若松市には新政府軍の兵士たちの墓があり、地元の人たちが慰霊を続けています。かつて敵として戦った相手の慰霊を続ける思いとは?

福島県西部の会津若松市。江戸時代には会津藩の城下町として栄えました。その中心部にひっそりたたずむ「西軍墓地」。薩摩や長州など、かつて会津に新政府軍として攻め込み、地元では「西軍」と呼ばれる兵士たちが眠っています。

戊辰戦争では1864年8月に新政府軍が会津城下に侵攻。会津側は女性や少年兵も加わって徹底抗戦し、戦いは1か月にも及びました。

会津藩主の松平容保が幕末の京都で尊王攘夷派を取り締まったことへの恨みから新政府軍の攻撃は激しかったとされ、戊辰戦争全体における会津藩関係の死者はおよそ3000人ともいわれます。

一方、新政府軍側にも死者は出て、西軍墓地には薩長土肥や岡山・大垣をはじめ9つの藩など、150人の兵士が眠っています。
(記者)「西軍墓地の中でもひときわ大きく、目を引くのが薩摩藩の墓です」
