家族や恩師への思い 今後の目標は?

記者:母の桃子さんが大阪に来るのも本当に知らなかったんですよね?
そうですね。本当に相撲をやっている最中は、相撲場にしか集中しないんで。
記者:恩師の越後谷清彦さんなど中学校とか幼少期に指導を受けたことっていうのは、やっぱり今に繋がってるものですか?
うん。やっぱり今に繋がってますし、その中で、もう心の構え方が小さい頃からやってきたもんが、やっぱり今になって出てきてるなと思っています。

記者:尊富士関の描く、今後の大きな目標は何でしょうか?
やっぱり目指すからには、一番上ですし、その中で、常に何かしらやっぱ自分の中で…。あまり口で言うタイプじゃないんですけれど、『目標』がないと、相撲人生でやっていけないんで。やっぱり、まずは「三役」。まず「三役」になってから、その先はまた考えればいいですし、まずはこの一つ一つを積み重ねて。あまり大きい目標は立てないようにして、その中で、やっぱりしっかりやっていけば、結果もついてきてるんで。はい。やるだけだと思ってます。
記者:青森では相撲人口が年々減少している面もあります。そんななかで、尊富士関は、相撲活性化のために競技普及の面では何か思ってることはありますか?
やっぱり自分が活躍することによって、少しでも相撲に興味を持っていけたら。特にそんなに固く考えずに、相撲を楽しんでもらえれば。それがやっぱり自分の中で
嬉しいんじゃないすかね。とにかく相撲っていうのは、あまり今の現代の小さい子は、やっぱりわからないんで。その中で自分が活躍することによって、尊富士から始まって、相撲に広がる。連想できるような、そういうのをやっぱり僕は目指してますね。
僕はやっぱり、相撲だけじゃないですけど、年々、地元の金木町ですとか、五所川原市。景気が悪い中で一つでも街を盛り上げられればなという。優勝してから、いろんな県内外の方から、故郷の金木町・五所川原市に「遊びに行って来たよ」って聞くと、やっぱり自分も優勝してよかったなって思います。

記者:いろいろイベントがあり、プライベートな時間が少ない部分はありますが、今回の帰省で何が一番楽しみですか?
やっぱりみんなの笑顔を見ることが、次の自分の相撲人生の原動力になるんで、その力に変えられるような、最高の皆さんの笑顔を見れるのを楽しみにしています。
記者:優勝で家族はすごく喜んでいました。尊富士関の祖父・工藤弘美さんは優勝が決まったとき「大谷・焼肉・尊富士」だと言ってましたけれども、家族にお会いするのはいかがでしょう?
いや、それはやっぱり、僕は高校から(県外に)出ているので、その辺はやっぱり…。慣れてますけれども。はい…。どうなんですかね。どうなんすかね…あんまり…。まぁ楽しみ。楽しみっていうのはおかしいですけれども。やっぱり自分の優勝してからは、やっぱり見たいんじゃないすかね。