大阪万博まで1年を切った。目玉の円形大屋根は8割がた出来たようだ。だが空から覗くと内側はほとんど更地だ。間に合うのかという心配もあるが、それ以上の懸念は当初の予定を大幅に超過している予算だ。かと言って今更やめるわけにはいかない。
思えば日本、いつでも万博か夏冬のオリンピックどれかに名乗りを上げているか準備に追われているかだ。そしてそこで常に大きなお金が動いている。これをイベント資本主義もしくは“祝賀資本主義”と言うらしい…。

「推進派は(厚さにして)1メートルくらいの資料」
オリンピックの準備も万博の準備も戦争と同じで始めてしまったら簡単には止められないという。だが今から20年近く前、開催間近だった博覧会が中止になったことがある。
幻となったのは1996年開催予定だった『世界都市博覧会』。中止にしたのはその前年“都市博中止”を公約にして選挙に圧勝した青島幸男東京都知事だ。

青島知事が誕生したとき、都は既に予算の1割に当たる200億円以上をつぎ込んでいた。
舞台裏に何があったのか、当事者に話を聞くことができた。
辺見廣明氏は当時都知事の秘書として政策立案にも携わっていた。バブルが崩壊し都の財政が厳しくなる中、都市博だけは水面下でどんどん話が決まり予算も増額されていく…。その現状に青島氏は反旗を翻したのだった。しかし、いざ知事になると「都市博はやるものだ」「工事が進んでいる」「損害が出る」と中止を阻む声ばかりだったという。

元青島幸男東京都知事秘書 辺見廣明氏
「下請けする企業が学識経験者や文化人にギャランティーを支払って、都市博の必要性の理論を作っていただいたレポートが山ほどありました。推進派には厚さにして1メートルくらいの資料がありました。中止は市民活動ですから2~3ページのレポートがいくつかあるくらいで…(中略)いちばん大きい意見は臨海開発に凄くメリットがあるからやったらどうかという…。100年の長い目で見ると…、歴史的に言ってと…」
要するに都市博を足掛かりに臨海副都心化計画を推進したいという思惑だった。これは1985年に前知事鈴木俊一氏が掲げた都市計画の沿ったものだった。だが…。

元青島幸男東京都知事秘書 辺見廣明氏
「青島は都民の行政は都民が決めるっていう民主主義の原点にもどって、そこを貫いたんだと思います…(大阪万博事業を見てどう思うか?)もっとリーダーシップを持って旗を振る方が明確になるとよくわかるのかもしれませんね」
結局、都市博は幻となった。だが、これは特別なケースだと知事経験もある片山善博氏は言う。

元総務大臣 片山善博氏
「これは青島さんだからできた。選挙活動しない人だった。企業、団体、業界と関わりが一切なかった。だから当選したあと役所の中では色々あったでしょうけど、外部から支援も圧力もなかったからできたんでしょう。選挙でお世話になってたらこうはいかなかった…」
確かに青島幸男は議員時代も含め選挙運動をしない、それでも勝てる稀有な存在だった。
都市博は中止になったが、青島氏のあとに都知事となった石原慎太郎氏は2016年のオリンピックに立候補し臨海副都心の開発を推進した。結局、都市博でも五輪でも臨海開発に利用できるメガイベントだったら何でもよかったという見方もある。