■先住民の伝統を奪った「文化的大虐殺」

「自分の番号を今でも覚えています。53番でした。彼らは、何かをやらせたい、納屋かどこかで作業をさせたければ、番号で呼んだのです」

子どもたちは、名前ではなく「番号」で呼ばれたという。このとき、私は、過去に取材したアウシュビッツ強制収容所の元収容者の言葉を思い起こしていた。その男性は左腕の袖をまくって、肩の近くに彫られた数字を見せながら「私たちは、人間ではなく番号だったのです」と語った。無論、寄宿学校と強制収容所の役割は全く異なる。だが、人権侵害という視点からは重なり合う部分も見えてくる。バドさんも、のちに、ナチスによるユダヤ人強制収容所の実態を知り、寄宿学校と似た部分があると感じたという。

「同化政策」の名の通り、先住民固有の文化を奪うことが目的だった。子どもたちは先住民の言葉を使うことを堅く禁じられた。「私たちの言葉を奪われました。何の問題もない、完璧な言語があったのに。最も悲しいことでした」とバドさんは話す。

カナダ政府は、寄宿学校の実態を解明するために「真実と和解委員会」を設けて、生存者の聞き取りや資料の調査などを行った。その報告書(2015年)では、先住民の伝統を奪う、こうした同化政策を「cultural genocide=文化的大虐殺」と批判して、こう定義した。「集団としての存続を可能にする構造や慣習を破壊することである」。

■教職員から連日続いた「暴行」

「そこは教育の場ではなく、農作業の場所でした。そして殴られました。罰は教育のためではなく、ただ私たちを壊すことが目的でした」

勉強よりも農作業ばかりを強いられた、とバドさんは話した。

「暴行は毎日でした。生徒の集団の中から何人かを選んで連れて行き、大きなベルトで殴っていました。どこに当たるかは気にしていませんでした」

教職員らからの暴行が連日続いたという。

元生徒 ダイアン・ヒルさん(66)

同じモホーク寄宿学校の元生徒、ダイアン・ヒルさん(66)にも取材できた。ダイアンさんは、元生徒のなかで最も若い世代である。

「私は58年間、このことを決して話しませんでした。私は一度も言ったことがありません、一度も」

彼女は7歳の時に、この寄宿学校に連れて来られた。膝下まであった長い髪。先住民の伝統文化で、三つ編みにするのが少女の誇りだったという。ところが、到着直後、強制的に髪を切られた。さらに裸にされ、固いタワシで身体を洗われたという。その後、ベッドで横になり、寂しくて泣いていると、部屋のドアが開いた。ダイアンさんは「誰かが慰めにきてくれたんだ」と喜んだという。だが入ってきたのは、見知らぬ職員の女性だった。このあと、何が起きたのか。58年前の記憶は鮮明だった。

「彼女は、私から布団を奪いました。突然、顔を殴られて、白い星みたいなものが見えて、鼻血が出ました。それまで殴られたことがなかったので、何が起こったのかわからなかった。大人は殴らない、という世界から私は来ました。でも殴られ、足首を掴まれ、ベッドから引きずり下ろされました。7歳の子どもだった私は、ショックで反応できませんでした」

さらに女による暴行は続いた。

「床に叩きつけられると、その瞬間から、殴る蹴るの暴行が始まりました。ベッドの下に潜り込もうとしたら、髪を掴まれ、引きずり出されて、また殴られ、叩かれ…。『泣くな、泣くな、泣くな』と言われたんです。『泣くな、絶対に泣くな 』って 。それが、ここでの最初の夜でした。翌朝に見ると、毛布やシーツが血だらけでした」

彼女は噛み締めるように語った。閉じた瞳からは涙が流れていた。