かつて、高知県三原村で放し飼いで地鶏を飼育し、幻のたまごを販売していた男性がいます。獣害や台風被害で経営が破綻。債務整理に5年かかりましたが、夢をあきらめず、農場を復活させようと新たな取り組みを始めました。苦悩の日々を乗り越え、これまで支えてくれた人たちに何とか恩返しがしたいと再チャレンジする男性の思いに迫ります。

三原村芳井地区。土佐清水市と接する山間部の集落で、過疎・高齢化が進んでいます。豊かな自然の中で地鶏を放し飼いにし、高級卵を生産していたのが、愛媛県出身の藤田守(ふじたまもる)さんです。

かつて青年海外協力隊に参加し、養鶏の普及に務めてきた藤田さんは2002年8月、三原村に移住。広大な村有地を借りて一から開拓を行い、しゅりの里自然農園をオープンさせました。

(藤田守さん)※2008年当時
「子どもを育てるにあたって自然あふれる環境で育てたいということがあったのと、僕自身が農業で生計を立てたいというのがあったんで、思い切って脱サラして始めた。自然な飼い方で作ったものをお客様に食べていただきたいという事からですね」

藤田さんの農園で育った地鶏の卵は落ちても割れないほど殻が固く、黄身だけをつかむことができる丈夫なものでした。ピーク時にはひと月に5000個を出荷。年商1億を目標に地鶏の飼育に情熱を注いだ藤田さんは卵の販売を始めた当時をこう振り返ります。

(藤田さん)
「初めて買ってくれたのが忘れもしない土佐清水のおばちゃんで『出て行って!』『もの売りいらんき』『もの売りさんえいから』と追い出され続けて『もの売りでも卵売りにきたんです』と言ったら『そうかね、はよ言わんかねそんなこと』『どっから?』『いや三原村で…』『分かった、買うちゃうけん』って。初めてのお客さんやったんであまりにもうれしくて泣き崩れてしもうて…」

しかし、自然の中での地鶏の放し飼いは順風満帆ではありませんでした。一つは獣害です。獣害といってもシカやイノシシによるものではなく、ハクビシンやネズミに地鶏が襲われる被害でした。

二つ目は台風による被害です。2014年に相次いで県内に接近した台風11号と12号による猛烈な風で鶏舎の屋根が吹き飛ばされるなど壊滅的な被害を受け、経営は破たん。負債総額はおよそ5000万円に上りました。

かつて飼育していた農場は跡形もない状態で、今はユズや直七の木が植えられています。ただ、鶏舎の一部はまだ残っていました。

(藤田さん)
「卵を拾ったらここで卵を全部洗って選別して、この中でシールを貼ってパック詰めして全国に出荷していた。ここに来たらほんまにあかん…」

(Q.農場が取り壊される様子を見て…)
「正直、泣き叫んでましたよ『やめてくれ!』と言って。取り壊しに来た業者の社長さんに看板持って後ろから写真取ってくれる言うて『絶対この日を忘れるか』『絶対復活さしたる』と思うて、そう誓った日でした。つらかったけどね」

自己破産後、債務整理に5年の歳月がかかり、この間は苦悩が絶えなかったという藤田さん。整理が終わった2023年10月、本人の誓い通り復活を宣言します。閉鎖された農場から北西に直線距離で1.3キロ離れた三原小学校芳井分校跡地の森を開墾し、再チャレンジすることを決めたのです。

かつて商店だった建物は廃墟の状態に。限界集落化が進む中、藤田さんは森の中で地鶏を放し飼いにし、高級卵の生産を復活させることを目標としています。

(藤田さん)
「フェンスのまわりにはアケビを植える。アケビを植えることで天然の生け垣になる。鶏舎のまわりには桑の木を植えようと思うてます。桑の木を植えることで葉っぱが鶏さんのエサになるしね。森自体が一つの生態環境を改めて作っていくと同時にエサも自給していこうかなと思ってる」

新たな農場は今後5年から10年かけて整備。広大な森を6つのブロックに分け、短い周期でローテーションしながら飼育する計画で、クラウドファンディングで資金を募っています。最初の目標だった100万円はわずか5日で達成。次の目標である650万円を目指し、懸命のアピールを続けています。

(しゅりの森自然農園 藤田守 代表)
「正直またゼロからのスタートになるんでね、今ほんとにわくわくしてるというのが1つ。本当に皆さんからお世話になったんで、これだけは言いたいですけど、この地区の方々にもお世話になりっぱなしだったので、恩返ししたいなというのはありますね」

「外貨を稼いでそのお金で仕事を作って、若い子が1人でも2人でも、三原の田舎でも働ける場所を作ること、それによってまたここの小学校を復活させたい。何年かかるかは分かりません、正直。ただ、この思いだけは大事にしていきたい。これを企業理念にしていきたい」

森の開墾を進めながら早ければ2024年11月に地鶏の飼育を始め、2025年1月から卵を出荷する計画です。「絶対に復活させる」という強い思いを胸に、藤田さんは新たな夢に向かって歩み始めています。