安曇野市穂高にある長瀬さんの自宅。部屋には軽やかなピアノの音色が響いていました。

長瀬さんは毎日の発声練習を欠かしません。
(長瀬さん)「テノールは一番使うのがこのBフラット、高いほうの。その辺が大事なところなんです。それが出ないと、テノールじゃないですよね」
物心ついた時から讃美歌を歌っていたという長瀬さんは戦後、16歳の時に才能教育研究会の前身、松本音楽院で声楽を学び始めました。

1948年(昭和23年)、17歳の時に、その後の人生を決定づけるような演奏会に出会います。
(長瀬さん)「イタリアのタリアビヴィーニという人が演奏しましてね その声を聞いたときにね本当に…なんていうかな、天に昇る気持ちというかね。泣きながら聞いたんですよ。あの人の声のようになりたいという追求をずっと一生続けて、頑張ってきましたがね。いまだにその声は耳に残ってます」

小中学校の音楽の先生として教壇に立つ傍ら、イタリア人や日本人の声楽家に師事し、これまでに400回に及ぶステージに立ってきました。

ボーカルフェスティバルを3日後に控えたこの日、伴奏を務める安曇野市のピアニスト・神谷敦子(かみや・あつこ)さんを自宅に呼んでレッスンを行いました。
気になったところは納得いくまで何度も繰り返し練習します。
長瀬さんがこだわるのが美しい声を伸びやかに響かせる「ベルカント唱法」です。
(長瀬さん)「のどをしっかり開けて響かせるということ。倍音といいますが、その響きの残りのところ、それは人の気持ちを動かす 感動させる」
(ピアニスト 神谷敦子さん)「80代後半ぐらいからね『もうこれで終わりだから 最後のコンサートだ』って何回も聞きましたが、90歳過ぎてはなかなか…いかにすごいことか、ちょっと感動してます」
(長瀬さん)「ありがとうございます!頑張ります」














