きっかけは大久保利通!?
西脇千瀬さん:
「日本で最初の西洋式の港を造るという計画があって、その港を造るだけじゃなくて、新しく西洋文化を採り入れた市街地を造るという計画が、大久保利通の発案によって始まった訳です。船の運航にとっても大事でしたし、同時に農業であるとか、そういうためにも気象の観測というのが大事になってくるという時期。本当に最初の頃のことだったと思います」

測候所が置かれたきっかけは、東北の発展を見据えた明治政府肝入りの大事業「野蒜築港」だったのです。1878年(明治11年)に着工し3年で完成する予定だったものの、鳴瀬川が運ぶ大量の砂の影響で、工事は思うように進みません。さらに・・・。

西脇千瀬さん:
「この地域は波が荒いものですから、しょっちゅう壊されてしまって。造っている最中の港が壊されてしまって、やり直しになってしまったり」

着工から6年が経過した1884年(明治17年)の秋には、ついに工事が完全に止まってしまいました。一体、何が?