◆小さな巨人、「ラストイヤー」への決意

池原は未来のハンドボーラーたちへ、こんな思いを語った。

「私が海外でプレーして、プロの道を進みたいという子がいたらうれしいですし、ここ(海外)を目指したいと思えるきっかけになればいいなと思います」

東京オリンピックをめざし、ハンドボールをメジャーにしたいとデンマークに移籍した池原。オリンピックが終わっても、2~3週間の休暇を経て所属先のオーデンセに合流。デンマークリーグ2連覇を達成し、3度目のヨーロッパチャンピオンズリーグに出場(ベスト8進出)した。デンマークでのシーズンはこれから6季目を迎える。

わずかなオフ、沖縄に帰省した池原は、地元の温かさを感じていた。

「最高ですね、心のリフレッシュがしたいときには沖縄に帰りたいと思います。うちなーぐちに癒されることもありますし、生まれてよかったなと思う場所です」

度重なる激闘を経て、心身ともに癒された表情を見せていた。そして31歳を迎えた池原は、ある決意を固めていた。

「自分の中ではハンドボール生活はラスト1年だと思っています。一番(の理由)は体。昔のように動けない自分がいて、気持ちと体が全然マッチしていない。それがすごくもどかしくて、昔だったらできたのに…と思ってしまう。それは昔話であって、今は自分ができる最善を尽くすんですけど、やっぱりけがも増えてきて…」

極限まで自分を追い込み磨き続けたプロ選手だからこそ行き着く、心と体の違和感。引退のタイミングを池原は感じ取っていた。

再び池原の目から涙がこぼれた。その理由をこう語った。

「うん、なんですかね…。小学5年生からハンドボールを始めて、自分でもこんなに長くハンドボールができると思っていなかったし、自分がこうやって好きなことを仕事にしてここまで来られているのも、今まで出会えた恩師や仲間のおかげ。自分は恵まれた環境でできていたので」

感謝の思いが涙につながっていた。

オリンピックが終わって引退を意識し始めたという池原だが、それでも所属先のオーデンセは来季1年の契約延長を提示した。池原自身が限界を感じていても、クラブにとっては欠かせない存在、そんな思いの表れだろう。ラストイヤーとなる来シーズン、池原は日本人が未だ成しえていないある目標を口にした。

「最終目標はヨーロッパチャンピオンズリーグのファイナル4。日本人初としてあのコートに立ちたい。ラスト1年にかけたいと思います」

ハンドボール文化が根付くヨーロッパにあって、チャンピオンズリーグのファイナル4は世界のハンドボーラーが目指す夢の舞台。達成すれば、またも日本人初の大快挙となる。

泣き虫だった少女が大きな成長を遂げて…。

沖縄が生んだ小さき巨人の挑戦は続く。そのラストイヤーのプレーにぜひ注目していただきたい。