「自分自身がそうだったからね」

(イメージ)

 そのNPO法人では、かつて国家公務員の文書係として身につけた事務仕事の経験を活かし、困窮者の就業支援や助成事業を得るための手続きなどを担当しました。施設では、自分も住み込んでほかの困窮者と一緒に暮らし、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べ、家族のように接して過ごしました。

 しばらくして、函館にも同じような施設を作ることになって責任者として赴任し、水を得た魚のように働きました。

 さらには札幌へ戻って、当時、北海道内に点在していた困窮者の支援団体をつなぎ、情報交換をし合う組織の事務局長に就任しました。

 また、女性の困窮者も一時避難できる専門の施設の立ち上げにも携わりました。

 「支援団体の仕事をしていて、電話を受けるんですね、困窮者から。その時、女性から支援を求める連絡も結構あったんです。でもその時は、一時避難できる施設は男性のためのものしかなかったんです」

 「女性の場合、風俗業界で働く困窮者もいるんですが、経済的な問題だけでなく、障害があって、それゆえにほかの仕事に就くことができなくて、働いている人もいるんです」

 「弱い立場には、さらに弱い立場があって、そういうところにいる人は、自分が孤立していることすら気づかないんです」

 やらなくてはならないことが、次から次へとありました。

 一人一人への対応は、どの人も違い、応用は利きませんでした。

 でも、困窮者がおなかいっぱいご飯を食べて、何気ない会話をして笑い合う姿を見ると、ほっとしました。

 「自分自身がそうだったからね」