輪島朝市の焼け跡で出会った親子

【石川県輪島市 2月4日】
(大石アンカーマン)
「まだ焦げた臭いが風にのってやってくる時があります。もう1か月以上経過しているのにね。向こうの方まで火災現場は広がっています」

地震の前は、いつも人で賑わう商店街でした。

その焼け跡を訪れていた人が。

(大石アンカーマン)
「こちらにお宅があったんですか?」

(女性)
「ここに私のお店がありました」

(大石アンカーマン)
「何屋さんだったんですか」

(女性)
「海鮮丼のお店」

ここで飲食店を営んでいた親子。

(海鮮丼店を営んでいた 小路幸子さん)
「これが入り口で、借りていた店舗で、小さなお店で。小さいスペースだけど、とっても詰まった物があって…」

近くの港で毎日水揚げされる新鮮な海の幸を使った海鮮丼が絶品で、名古屋からも多くの人が訪れる人気の店でした。

しかし、地震と火災で、立っているのは焼け残ったドアの枠だけです。

(息子 坂口将寛さん)
「あ!店に一個だけ残っていた物がある。それを見せます」

(大石アンカーマン)
「焼けずに残っていたということですか? 湯飲み茶碗?」

(息子 坂口将寛さん)
「そう。これ一個だけ。これ一個だけ無事にあった」

お客さん用の湯飲みがひとつだけ、割れずに残っていたのです。

(息子 坂口将寛さん)
「ずっと飾っておく。ここにあった、ここの店で使っていたということは、これを見るたびに忘れないだろうし」

(大石アンカーマン)
「証しですもんね」

(息子 坂口将寛さん)
「証し」

必ずお店を立てなおすと、決意をあらたにする坂口さん。

(息子 坂口将寛さん)
「また1からですよ、1どころかマイナスだけど。やっぱり(お店は)母親の生きがいだったから、生活するとかそういうことじゃなくて、本当にお店を生き生きとしてやっていたものですから、ちょっとまたやらせてあげたいなって」

(大石アンカーマン)
「大変ですけど」

(息子 坂口将寛さん)
「ピンチはチャンス。やるしかない。止まっていてもだめやし。元には戻らんけど、また新たに動くことはできる」

(大石アンカーマン)
「必ず来ます」

(息子 坂口将寛さん)
「必ずやります」