(ブルームバーグ):台湾の実業家、黄冠華氏(50)は、両親が創業した繊維事業の資産を保全するための海外拠点を探し始めた。香港やアラブ首長国連邦(UAE)のドバイなどを候補として検討したが、最終的に選んだのはシンガポールだった。
中国共産党が台湾に対する軍事・政治的圧力を強める中、黄氏の決断は広範な流れを映し出している。シンガポールは政治的安定性や低い税負担に加え、台湾海峡を巡る地政学リスクの影響を受けにくいと認識されている。
そのため、台湾の企業オーナーや起業家の間で資産の一部をシンガポールに移す動きが広がっている。数十年にわたり、資産分散を目指す台湾の富裕層にとって、海外での資産預け先としての定番は香港だった。
しかし、中国政府の台湾に対する長期的な干渉懸念が高まり、富裕層は従来の戦略見直しに着手。シンガポールが有力な避難先として台頭している。
義守大学(台湾)の鍾喜梅教授は「台湾の富裕層はリスクヘッジとして資産をシンガポールへ分散している」と指摘し、「台湾の人々にとって、香港は居住権取得の魅力や政治的安定性が大きく低下している。香港がシンガポールに対抗することは難しい」と述べた。
2027年
ブルームバーグ・ニュースは、台湾の資産家8人と、弁護士やプライベートバンカー、外部資産運用会社など富裕層を顧客に持つアドバイザー20人余りに取材した。扱うテーマが地政学的に極めて敏感であることから、多くの人が匿名を条件に話してくれた。
3分の2余りが、中台の緊張が悪化しており、資産保全のための対策が必要だと考えていると回答。また、中国人民解放軍創設100周年に当たり、共産党の習近平総書記(国家主席)が軍の近代化目標としている2027年を特に懸念していると何人かが答えた。
こうした懸念は今年5月にも浮き彫りとなった。習氏は北京を訪問したトランプ米大統領に対し、台湾問題で対応を誤れば「衝突」が起きかねないと警告した。
6月にはヘグセス米国防長官が米国の同盟国に対し、台湾問題について沈黙を保つことが米国の強さを示す最善の方法だと理解を求めた。これを中国にとっての勝利と受け止める向きもあった。
現時点で、習氏が近く台湾侵攻を計画している兆候はない。習氏は4月、台湾の最大野党、国民党のトップと約10年ぶりに会談したが、その際、軍事力ではなく政治的影響力を通じて台湾の将来に影響を及ぼしたい考えを示唆した。
また、人民解放軍幹部の相次ぐ粛清を受け、中国側の軍事的な即応態勢に疑問の声も出ている。
それでも緊張の高まりは、黄氏の決断に影響を与えた。黄氏は最近、シンガポールでファミリーオフィス設立の認可を取得し、就労許可も確保した。
台北に本社を置く旭栄集団のエグゼクティブディレクターを務める黄氏は自らの決断について、「緊急時に飛行機を着陸させる場所を確保する」ことを意味すると説明。
「着陸した時、少なくとも資産は手元にある。何も持たず難民のように逃げることにはならない。私は台湾人であることをとても誇りに思っている。しかし、予測できない地政学リスクには向き合わなければならない。そのための備えが必要だ」と語った。
AIブームを受け、半導体製造の世界的中心地となった台湾の資産市場は、アジア有数の急成長を遂げている。
UBSによると、台湾のミリオネア、つまり資産100万米ドル(約1億6300万円)以上の保有者は約77万2000人と、香港の約62万8000人を上回った。
玉山銀行とKPMG台湾のリポートによれば、この3年間で台湾勢による海外資産の預け先として、香港に代わり、シンガポールがトップになった。
不動産を除く台湾資産はシンガポールに約10兆4000億台湾ドル(約53兆円)、香港には約9兆6000億台湾ドルが保有されているという。
これは全体的な流れとは対照的だ。シンガポールでは大型マネーロンダリング(資金洗浄)事件を受けた規制強化が進む一方、香港はアジアの超富裕層向け金融拠点としての地位を改めてアピールしている。
台湾董事学会(TWIOD)を創設した蔡鴻青氏は「2016年以降、台湾の富裕層が高まる地政学リスクへの備えとして海外資産を香港からシンガポールへ移す動きが鮮明になった」と話した。「以前は海外資産の80%以上が香港に置かれていたが、現在では60-70%がシンガポールで保有されている」という。
不動産市場
台北で2022年に創業された李奧国際集団(レオ・インターナショナル・グループ)もシンガポールへの進出を進めている。
資産運用やヘルスケア、教育事業を手がける同社は、今年に入りグローバル本社をシンガポールへ移転し、ファミリーオフィスを設立する計画を発表した。目的は次の100年を見据えた事業基盤の構築だとしている。
政治状況を理由に姓の公表を控えたダニー氏(35)は3年前、トレーディング事業と両親が中国で設立した工場から得た資産を管理するため、シンガポールでオフィス開設を申請した。
現在はファミリーオフィスを設立し、今後20年間にわたり2人の子どもに安定した生活環境を提供するため、シンガポールへの移住を計画している。「台湾の政治情勢は危険過ぎる。リスクがあまりにも大きい」と言う。
台湾富裕層によるシンガポール進出の先駆けの一人が、日月光投資(ASEテクノロジー・ホールディング)の張虔生会長だ。
張氏は日月光を世界最大級の半導体パッケージング・テスト受託企業へと育て上げた後、約20年前にシンガポール国籍を取得した。現在は推定資産239億米ドルで、シンガポール一の富豪となっている。
シンガポールの不動産市場にも、台湾の投資家や企業の関心が高まっている。
現地メディアによれば、2021年には香港上場の食品大手・中国旺旺の創業家が、オーチャードロード近くの超高級住宅「EDEN」の全20戸を約2億9300万シンガポールドル(約368億円)で取得した。蔡衍明会長が1戸を購入し、シンガポール永住権を持ち同社のエグゼクティブディレクターを務める息子が残る19戸を取得した。
プライベートバンキング強化
台湾資産のシンガポール流入を受け、シンガポールと台湾の銀行はいずれもプライベートバンキング事業の強化を競っている。
シンガポールの主要銀行はいずれも台湾顧客向けサービスを提供している。台湾勢も中国信託商業銀行(CTBC銀行)や台北富邦銀行、国泰世華銀行、台新国際商業銀行など、顧客資産を追ってシンガポールでの体制を強化している。
2012年に台湾の銀行として初めてシンガポールにプライベートバンキングのブッキングセンターを設置したCTBC銀行では、運用資産残高が2020年時点の40億米ドル弱から約90億米ドルへほぼ倍増した。
国際プライベートバンキング部門責任者のフレディ・チェン氏によると、台湾人顧客を担当するリレーションシップマネジャーも同期間に4倍の20人へ増えた。
他行も事業を拡大している。台北富邦はシンガポールのウェルスマネジメント部門を現在の約25人から年末までに30人へ増員する計画だ。台新は、2014年の進出当初約20億台湾ドルだったシンガポール支店の運用資産が現在は427億台湾ドルまで増えたとしている。
事情に詳しい関係者によれば、兆豊国際商業銀行など一部の政府系銀行も、金融・税制上の優位性に着目し、早ければ今年または来年にシンガポールのプライベートバンキング市場への本格参入を検討している。
兆豊は現時点ではシンガポール支店でウェルスマネジメント事業の準備を進めており、プライベートバンキング参入の必要性については今後も検討を続けるとしている。
ファミリーオフィス向けガバナンス支援や人材採用を手がけるアグレウス・グループのアジア市場責任者ピエール・ピノー氏によると、人材紹介会社への需要も高まっている。同氏は過去2年間で、シンガポールでファミリーオフィスを設立する台湾の富裕層3家族を支援したという。
旭栄の黄氏は、シンガポールで家族の資産を管理する体制の整備を終えたと打ち明け、「安心感につながる。台湾人は平和を当然のものとは考えていない。常に平時から危機に備え、警戒心を持って未来に向き合っている」と強調した。
原題:China Fears Prompt Super Rich in Taiwan to Send Wealth Overseas(抜粋)
--取材協力:Betty Hou、Jenni Marsh.
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