戦後80年「つなぐ、つながる」です。終戦間際に東京の郊外で撃墜されたB29搭乗員の虐待には一般市民も加わっていました。負の歴史を記録し、伝えていくことの意味とは。

記者
「1945年8月8日、アメリカ軍のB29が撃墜され、脱出できた搭乗員2人のうち1人が、パラシュートでだいたいこのあたりに降りてきました。その様子を近くの少女が見ていました」

降下する米兵を見た 澤保子さん(89)
「怖かった。『鬼畜米英』と言われて育っていたので。『あ、鬼さんが落ちてくる』」

2人を捕虜にした憲兵隊は翌日、そのうちの1人、モロン軍曹を立川市内の学校の校庭でバスケットゴールの柱に縛り付け、詰めかけた群衆の中から希望者に一回ずつ竹の棒で叩かせました。

戦後、GHQの調べに対し、当時の憲兵隊員が上司の言葉を供述しています。

憲兵分隊長
「本土決戦も間近に迫っている。国民の士気高揚のためにもやらなきゃいかん」

2時間に及ぶ暴行のあと、モロン軍曹は近くの墓地で、将校に首を斬り落とされました。

実際に叩いた人の証言が残っています。

故・狩野義男さん(当時 小学6年生)[2016年撮影]
「俺が行ったときには、もう皮がべろーんとむけていた」

当時小学6年生。罪の意識はありませんでした。

故・狩野義男さん[2016年撮影]
「“ざまあみろ”って(気持ち)。むしろ優越感、感じちゃうんじゃないの。戦争ってのはね、人間変えちゃうんだよね」

動画を撮影したのは、地元の戦争証言を集める楢崎茂彌さんです。

事件の背景には空襲被害もあったとみられます。1945年4月には立川に爆弾が落ち、42人が死亡。

地元の戦争証言を集める 楢崎茂彌さん
「(犠牲者は)主に、子供と女性と老人」

事件の1週間前には、近くの八王子も焼け野原にされていました。

楢崎さんは、このB29捕虜虐殺事件についてまとめたビデオを折に触れて上映しています。

参加者
「(Q.ご自身だったらどうされますか?)かわいそうというよりも…“ざまあみろ”ってところがあったかもしれない」
「子供を戦争で亡くしていたら、(叩かない)自信ないなと思う。今の自分なら絶対やらないですけど」

事件は戦後、密告で発覚。憲兵分隊長と部下1人が戦犯として裁かれましたが、斬首をした将校は特定されませんでした。

戦争証言を集める 楢崎茂彌さん
「最終的には皆が口をつぐんでわからなかった」

こうした捕虜虐待は関係者の口も重く、自己弁護もあり、正確に語り継ぐのは容易ではありません。

戦争証言を集める 楢崎茂彌さん
「なるべく隠しておこう、なかったことにしようという意識も働く。なかったことにしたら、また絶対繰り返してしまう」

「戦争は庶民をも加害者にする」。そのことを忘れないために。