1995年3月20日、死者14人6000人以上を巻き込む地下鉄サリン事件が発生。
猛毒ガス、サリンを製造していたのが旧上九一色村にあった教団施設。
さらに大量生産をもくろんで建設されたのが第7サティアンの巨大プラントです。
記者:
当時の面影は?
解体業 中村吉邦さん:
「この橋はよく覚えています。橋の袂からが建物だったので」
その第7サティアンの解体に携わったのが、甲府市で解体業を営む中村吉邦さん、
52歳です。
解体業 中村吉邦さん(甲府市):
「1998年に解体することになりまして、何もない土地なのに、何か異様な建物が立っていてですね」
「本当に雰囲気も違ってですね、異様な状態だなというのは痛感しました」







