甲府空襲で甲府の市街地は74%が焼き尽くされ、1127人が命を落としました。

伴野さんの暮らした桜町も澤田屋のビルも焼け落ち、華やかだった街は一夜にして変わり果てた姿となったのです。

伴野さん:
「(焼け跡を)下駄で歩いたけど下駄が焦げるぐらいだった。立ち直れるのかしらと思いましたね」

その翌月…79年前のきょう、8月15日、終戦。

伴野さん:
「ほっとしました。もう何よりもうれしかったですね」

=子どもたちの手紙=
「大東亜戦争を勝ち抜きます」「大張り切りの軍国乙女なんです」


子どもたちが戦地にあてて書いたはがきや手紙。あれから80年余り…

伴野さん:
「こんな手紙を出させるなんて、かわいそうすぎる」

同じ時代を生き抜いてきた伴野さんの最近の楽しみはスマホに送られる孫からのメッセージ。

平和への道筋をつくるのもまた、「言葉」の力だといいます。

伴野さん:
「未来を考えると本当にね、ただ幸せと健康とね、安全を祈るだけですね。



「その時代時代でそれなりの心の通う方法を見つけて、お互いに励ましあっていけるっていうことですよね」

【少女からの戦地へ慰問の手紙 書かれていた戦時中の暮らし 前編こちら