【少女からの戦地へ慰問の手紙 書かれていた戦時中の暮らし 前編/後編の後編】

太平洋戦争のさなか、1943年、昭和18年に山梨県南アルプス市出身の男性がアリューシャン列島の戦地で書いた従軍日誌。



=志村太郎技手の従軍日誌​=
「本日は敵さんも来らず 蓄音機を午后聞く 甲府の澤田屋を思い出したり 澤田屋のケーキの味も思い出す」

そこには甲府市の澤田屋で音楽とケーキを楽しんだ思い出が綴られていました。

しかし、甲府の女学校の生徒から手紙で知らされたふるさとの味は、戦争によって変わり果てていたのです。



=女学生の手紙=
「兵隊さんのお手紙によると澤田屋の菓子の味が忘れられないって ありましたけど 最近のお菓子 皆砂糖が使われていないの ケーキ甘くないのよ お菓子の配給が少しなもんだから近頃 口にしたことがありませんの でも食べたいという気持ちは少しもありませんから とても結構よ 兵隊さんは昔の味だけを覚えていらっしゃるから幸福ね」