伊集院さん
「永久追放という言葉が出た時は驚いたね。20代前半の若者ですよ。何が起きているか本人もわからなかったと思う」
18年後、伊集院さんは、球界を去った池永さんと福岡で会います。
池永さんは、スナックを経営していました。

「八百長投手」と客からののしられても池永さんは店に立ち続けました。
伊集院さん
「あのドーベルマンという店はね、あの人の(潔白を)証明するためのマウンドだったと思う」
伊集院さんは、池永さんの救済をペンで訴えてきました。
1998年には16万人の嘆願署名が集まり、提出されましたが・・・
川島広守ココミッショナー(当時)
「時間がたったからこうなったと言う風な取り扱いではいけないのではないかと」
2001年、池永さんがマウンドに戻ってきました。プロ野球OBのリーグで往年を彷彿させるピッチングを披露したのです。しかし、心の内は晴れません。
池永さん
「もう許していただきたい」
この叫びが、ようやくこの年に届きました。野球協約の改正で失格処分が解除出来るようになったのです。
根來泰周コミッショナー(当時)
「そういうことをいつまでも続けるということは、世の中の様々な制度から見て問題があるのではと」

池永さん
「嬉しいです。力が抜けないようにしゃんとしておかなければと思っています」
池永さんの処分解除申請は、近く認められる見込みです。(このあと解除)

伊集院さん
「後輩としても、友人としても非常に嬉しいですね。あれだけ野球を愛している人だから、堂々とスタンドに行くなり、グラウンドに入るなり、そういう風に生きて欲しい」
35年・・・長い旅の終着駅が見えてきました。

伊集院さんは、池永さんにお祝いの鉢植えを贈りました。
「もう一度人生に花が開くように」と・・・。
伊集院さんが復権を願い続けた池永さんは、永久追放が解除されてから17年後の去年9月に亡くなりました。













