世界と戦える選手になって、柳井市・山口県にいい報告を

森本敏史さん
「あの時に無理やり山口県に残ったらと言わなくてよかったなというのは、高校時代の活躍を見て本当に思いましたね」
「彼との出会いは僕にとって宝物ですよね」

柳井市に優勝を報告した時はー

河村勇輝選手(当時高校3年生)
「トップ選手になって、最後は日本代表のポイントガードになって、世界と戦える選手になって、柳井市、山口県にいい報告ができるよう頑張っていきたい

ことば通り、河村選手は世界で戦うポイントガードまで登りつめました。森本さんは河村選手がプロの世界に入ってからも県外へ応援に行っています。

森本敏史さん
「スピードはミニバスの頃よりはもちろん上がってるし大きな選手のなかで頑張ってるなと思いますね」

河村選手はミニバス時代に森本さんから教わったことを覚えています。

河村勇輝選手
「すごい覚えているのはルーズボール1回しなかった(取りに行かなかった)ときにすごい怒られたことがあって試合中に」
「自分はあの時すごい怖かったんででもそれが勝負に対するものなんだろうなというのは感じましたね」

小学2年生から現在まで、森本さんは教え子を応援し続けています。そこにあるのは選手と監督の強い絆です。

Q:河村選手にとって、森本先生はどんな存在か

河村勇輝選手
「もう恩師というかバスケットを始めた頃の、本当のバスケットを教えてもらった1番最初の先生なんでどんな形であれ結果を残していくことが先生への恩返しになると思ってるんでそこはいつも気持ちを込めて試合に臨んでいます

森本敏史さん
「涙が出そうです。本当にSNSでやり取りはするのにいつも感謝の気持ち込めてプレーしますと返してくれるのでありがたいなと、本当に宝物です」

(tys mixで2023年5月 放送)