中学時代に成し遂げられなかった「日本一」を取りたい

県外の、福岡第一高校(福岡県)への進学です。福岡第一高校は、言わずと知れたバスケ界屈指の強豪で部員は100人以上。3年間ベンチに入ることもできない選手もいます。
中学時代に成し遂げられなかった「日本一」を取りたい
オファーを受けた時、河村選手に迷いはありませんでした。森本さんは、故郷を離れて厳しい環境に身を置く河村選手を心配していました。
森本敏史さん
「それよりも山口県に残って山口県の舞台、チームで彼が活躍してくれる事の方が僕のなかではありがたいなそうなってほしいなとは思ってましたけど」
しかし、この選択が「河村勇輝」の名を全国に轟かせることになります。

1年からレギュラーで試合に出場すると、2年でチームキャプテンに就任、さらに18歳以下の日本代表入りを果たします。
3年で全国大会のウインターカップで連覇を果たすなど、4度の日本一を経験、高校最強のポイントガードとして一世をふうびしました。井手口孝(いでぐちたかし)監督は当時、なみなみならぬ努力の成果だと話します。

福岡第一高校 井手口孝監督
「高校の昼休みって40分くらいしかないんですけど、急いでごはん食べてそのあと着替えてシュート練習して着替えてまた教室戻るなんてことをやってるみたいなんです、それぐらいバスケットが好きなのか自分の技術をもっともっとと思っているのかそういう子です」
河村選手にとってこの高校生活が最大の成長につながりました。