「戦後80年プロジェクトつなぐつながる」です。富山大空襲の体験者としてどのように次の世代に戦争の悲惨さや平和への願いを伝えていくか、ことし新たな伝え方に挑戦したのは87歳の空襲体験者です。

体験者が挑む記憶の継承:87歳の伝え方

ことし7月、富山県富山市の県民会館で開かれた「富山大空襲」展。戦後80年にあたって富山大空襲の実態を伝える企画展に、6日間で3000人以上が訪れました。

飯田恭子さん「これが99.5%燃えたっていうところ、真ん中にいたわけですから、何にもない」

この展示を中心になって企画したのが、富山大空襲を体験した飯田恭子(はんだ・きょうこ)さん・87歳です。

飯田恭子さん「若い人の反応はやっぱりね、ご存じない。真剣に読んでくださってる。親子で来られる、あれはうれしいですね」

1945年8月2日未明、174機の米軍爆撃機B-29が富山市の中心部に50万発以上の焼い弾を投下し、推定3000人が犠牲となりました。

市街地の破壊率は99.5%、空襲を受けた都市の中でも最悪の被害でした。