今野さん「23町歩ある『放牧地』があったので、その跡に桜を植えてやるかなと思って、それで育て始めたの」

かつては福島県でナンバーワンの乳牛を育てる酪農家だった


今野さんはかつて、福島でナンバーワンの乳牛を育てる酪農家でした。津島地区のちょうどど真ん中、赤宇木地区の中に今野さんが経営していた「今野牧場」があります。いまも帰還困難区域に指定され、立ち入りが制限されています。原発事故の前、自分の牧場の放牧地を大好きな桜でいっぱいにしようと育てていたのが、この滝桜です。

「滝桜」への思いを語る今野さん


今野さん「滝桜はしっかりと根を張っているでしょ。あの素晴らしい貫禄というか、1000年という年月を重ねた桜が毎年咲いているというのに感動するんだ

帰還困難区域に植えた「滝桜」妻・タマノさんとともに(提供:今野幸四郎さん)


植えることが叶わなかった200本の「滝桜」は、避難先の地域の人たちに配り歩いたほか、故郷の国道沿いにも復興を祈念し、自ら小さな碑を建てました。碑には、次のような文言が刻まれています。

「東日本大震災・原発事故の早期収束を願い、
 三春町の滝桜の孫桜を植樹する」


津島地区はかつて、川をひとつ隔てて、相馬藩と三春藩に分かれていました。​今野さんが植樹したのは、そのちょうど境目の場所だといいます。植樹したときの気持ちを次のように振り返りました。

避難先に咲く「滝桜」育て始めてから11年が経った


今野さん「当時は原発事故が起きて、何年過ぎれば帰れるという予定もなかったんだな。ただ逃げるだけで。あそこに桜を植えるときには、せいぜい5年経てばあの木も花も咲くから、その頃にはみんなあの花を見ながら我が家に帰ることできるかなって。そんな思い」

帰還困難区域内にある「今野牧場」(提供:今野幸四郎さん)


しかし、5年が経ち、桜が花を咲かせるようになっても、帰還の見通しは立たないままです。その間、苗がイノシシに掘られたこともあり、立ち入りの許可をもらっては、桜の手入れを続けてきました。