自宅が居住区域に 期待の一方で…
その一方で、ある程度、まとまって住民が帰還する集落もありました。津島地区の西の端、羽附(はつけ)集落です。避難指示が解除された川俣町・山木屋地区に隣接しています。
窪田たい子さん「3、4年は手入れしていたんだけど、もう帰ってくるたびにがっかりして。でもここに帰ってくると癒やされて。故郷っていいんだなって思っていました」

羽附集落の窪田たい子さん(68)と和男さん(72)夫妻。ふるさとへの帰還を待ちわびて、13年が経ちました。原発事故の後、手入れを続けてきた家も、傷みが目立つようになりました。同じ浪江町内で、除染が進む場所を見るたびに、複雑な思いだったといいます。
窪田たい子さん「同じ場所を何回も除染していくから、何回もやっているならば津島だって一回くらい、みんなやってもらえれば。そういう気持ちで国道を通って歩いてたの」

羽附集落は、復興拠点に含まれなかったため、長らく避難指示解除の方針が示されませんでした。震災前には32世帯が暮らしていて、大半の世帯が帰還を希望。今年1月に、特定帰還居住区域に認定されました。窪田さん夫妻もこの日、環境省に自宅の解体を申請。13年が経ってようやく、ふるさと帰還への道筋がつくようになりました。
窪田たい子さん「羽附集落も行政で除染できると聞いたときは、本当に嬉しかったです」
帰還が実現すれば、やってみたいことがあるといいます。
窪田たい子さん「すぐに営農再開はできないから、花木や花を、畑や田んぼの周りに植えて。花が植えてあれば、訪れた人にすごいな、休みたいなとか、回ってきたいなって、みんなに見てもらいたい」
ただ、13年という時間はあまりに長かったとも感じています。この家を建てた和男さんの母は、この間に体調を崩し、入院したといいます。
窪田たい子さん「帰れるなら帰ってきたいなって言っていたんですけど、今ちょっと歩けない状態だから、リハビリして良くなれば…。もともとばあちゃんは地元で生まれて地元に嫁いだから本当にここに愛着があると思う。本当に連れてきたい」
避難指示の解除に期待を寄せる住民がいる一方で、その後も、課題は残り続けることが予想されています。

節目の日、3月11日の裁判。その後の集会でも、黙とうが捧げられました。
裁判には、窪田さんも原告として参加しています。法廷で「国と東電の責任を問わずして、真の復興・再生はない」と意見を述べた今野さん。集会では、改めて、次のように訴えました。
今野秀則さん「避難を強いられて、いかに私たち住民が原発事故で苦しめられているかということを主眼に置いたつもりで訴えさせていただきました」