1945年の終戦から1972年までの27年間、沖縄はアメリカ軍の統治下にありました。その沖縄が本土に復帰して今月15日で50年を迎えます。
沖縄県出身者でつくる宮城沖縄県人会で会長を務める男性に、
今の思いを聞きました。
仙台市内の沖縄料理店です。

荻堂盛定さん(76)。
県内の沖縄県出身者でつくる「宮城沖縄県人会」の会長を務めています。

宮城沖縄県人会 荻堂盛定会長
「昔の我々の世代の内地(沖縄以外)の人は、沖縄は日本国ではないと思っている
人が多かった」
44年前、親戚を頼って宮城県に。トラック運転手として生計を立ててきました。
沖縄料理店店主
「沖縄から私たちよりも先に本土に渡って、ご苦労なさった大先輩で、大変だった
ろうなと」

戦後アメリカ軍の統治下にあった沖縄。本土に復帰するまでの27年間は、アメリカの一地域として扱われていました。

宮城沖縄県人会 荻堂盛定会長
「日本に居ながら日本円ではなくB円という通貨を使っていた。
復帰前はパスポートが必要で、パスポートを取って日本(沖縄以外)に渡る。
いわば外国人扱いですよね」
荻堂さんは自身のルーツを大切にし、県人会での活動を続けています。
この日は、県人会で一番若い二十歳の男子学生と酒を酌み交わしました。

宮城沖縄県人会 荻堂盛定会長
「沖縄の方言は忘れて欲しくないですね。あまり方言使わないでしょうから」
沖縄出身 東北学院大 伊豆原滉一朗さん
「沖縄出身なのに年配の人と話しすとわからない。
どんどん方言を話す人が減っている」
沖縄返還から50年、ずっと変わらないこともあります。
アメリカ軍の専用施設の7割以上が沖縄に集中。
沖縄の負担が一向に軽減されないことに荻堂さんは複雑な思いを持っています。

宮城沖縄県人会 荻堂盛定会長
「なかなか基地の返還もままならない状態、そうした政治的な状況が変わって
初めて本当の返還と言えるのではないか」