東日本大震災から5月11日で11年2か月です。
震災の風化が叫ばれていますが、大切な人を亡くした被災者の心の傷は未だ癒えることはありません。
津波で亡くした家族を思い日々を過ごす石巻市の男性の今を追いました。

石巻市の会社員、立野次郎さん(68)は、慰霊碑に呼びかけます。

慰霊碑に呼びかける立野さん


【立野次郎さん】「ばあちゃん、かずちゃん、みんな元気に暮らしているからね。見ててよ!」

去年、一般公開された石巻市の慰霊碑には、立野次郎さんにとって大切な2人の名前が刻まれています。
立野さんの妻・和子さん(当時55歳)と母のきみ子さん(当時89歳)です。

立野さんの妻・和子さん
立野さんの母 きみ子さん


【立野次郎さん】「『地震が来たら津波が来るから逃げるんだぞ」と常日頃言ってたんだけど、「大丈夫お父さん、私は逃げるからね」と。だけど逃げられなかったんだな、ばあちゃんがいるから」

和子さんは、海から500メートルの場所にあった南浜町の自宅に、きみ子さんを迎えに行き2人は津波に流されました。

【立野次郎さん】「何事もなく逃げてくれれば良かったんだけどね」

震災遺構 門脇小学校


2022年2月に開かれた石巻市震災遺構門脇小学校の内覧会。
学校の見学に訪れていた立野さんはあるメールを見せてくれました。

記者が「メール残ってるんですか」と驚くと、立野さんは「これ娘からのメールなのよ」と教えてくれました。

メールを見せてくれた立野さん


神戸に住んでいた長女が、あの日、和子さんと連絡をとっていました。

【立野次郎さん】「ばあちゃんは、お母さんが連れて帰るから大丈夫って言ってたよって。だからお父さんも気を付けて帰ってきてよって。テレビですごいことになってるんだよ!って。俺も安心してしまったもんな。急いだことは急いだけど。このメールは消せないの。何があっても消せない」

立野さんは、震災後市内に新しく家を建て、現在は次女と2人で暮らしています。

仏壇に手を合わせる立野さん


【立野次郎さん】「本当にね、毎朝声はかけるんです。元気か!とかね。今日行ってくるから、とか」

和子さんはどんなことにも一生懸命取り組む人でした。

【立野次郎さん】「だって朝からてんぷら揚げして、「お父さん、ハイ揚げたて」って。朝から肉じゃが作って「出来たて」って、朝ごはんに出してくれるんだよ。なかなかできないと思う。とにかく誰に聞いても、いい人だったねって言われるね、嬉しいね。自分が褒められるより嬉しいね。やっぱり女房が褒められるのは嬉しい」

震災から11年が経った、今年3月11日。
立野さんは震災直後に世話になったという市内の友人宅を訪れました。消防団の活動で知り合った仲間です。黒田敏さんです。

友人宅を訪れる


仕事で自宅を離れていた立野さんは津波で道路をふさがれ自宅に戻ることができませんでした。黒田さんの家に身を寄せ救助活動にあたっていました。

立野さんを迎える黒田さん


【黒田敏さん】「車も人も随分流されて大変な状況だったね。そこで一緒に活動したもんだから。その前あんまり仲良くなかったもんな!」
【立野次郎さん】「そんなにね。あんまり仲良くしたくなかったんだけどね!」

二人は冗談を言い合っていました。

その後、立野さんは震災の発生時刻に合わせ2人が眠る寺を訪れました。

二人が眠る寺


【立野次郎さん】「たまに来てくださいよ、お待ちしています」

毎年この日になると思うことがあります。

【立野次郎さん】「もう1回だけでもいいから会いたいって思うこともある。やっぱりこうして来るしかないんだかもしれないけどね。まず、今年も11日が来たね」

墓前に建つ立野さん


自宅があった場所は、いまは津波復興祈念公園になっています。住宅が建ち並んでいた街は何もかもが津波に流されました。

自宅があった場所は公園に



【立野次郎さん】「正直な話、助かってほしかったし、逃げてほしかったのが本音。地震来たらバッグを肩に背負って逃げる用意だ。津波となったら何も持たなくてもいいからとにかく逃げる。とにかく逃げましょう。逃げましょう。空振りしてもいいから逃げましょう」

逃げることの大切さを説く立野さん


震災から11年2か月。立野さんの大切な人への思いは消えることはありません。