「復興ボランティアの経験を生かしたい」防災教育への想い

中川さんを釜石に向かわせたもの、それは、防災教育―命を守るための教育への想いだ。2011年に発生した東日本大震災。当時、高校3年生だった中川さんは、復興ボランティアで被災地を訪問。翌年、静岡市内の大学に進学すると、自ら復興支援サークルを立ち上げ、ボランティアとして震災で傷ついた被災地に寄り添った。
「ボランティアに行っていた時のことを生かしたい、という思いはありました。そういう思いで一度、教員になったんです」
しかし、そこで得た知識や経験だけでは、足りなかった。
防災教育を学ぶため釜石へ

2018年、教職を離れた中川さんが学びの場に選んだのは、学生時代に立ち上げた復興支援サークルで4年間訪れ続けてきた岩手県釜石市だった。
慶應義塾大学の大学院生となった中川さんは、大学と釜石市の連携協定に基づく「地域おこし研究員」という制度を利用し、釜石市の仮設住宅で暮らしながら、2年間防災教育の研究に力を注ぐ。
「釜石の出来事」から学ぶ教訓

東日本大震災で、巨大な津波が押し寄せ、犠牲者・行方不明者が1,000人以上と大きな被害が出た釜石市は、市内の小学校2校と中学校1校も全壊するなどしたものの、小中学生およそ3,000人のうち、99.8%が避難して無事だった。
多くの子どもたちが助かったのは、「地震が起きたらすぐ自主的に避難する」という防災教育がしっかり身についていたからだとされ、「釜石の奇跡」(※後に「釜石の出来事」と改められる)と讃えられた。