“あの日、私が海の近くにいたら生きていたのかな” 防災の道へいざなった友人のひと言

“地震の話はしてはいけない”、大切な家族を失った友人も多い中、震災後はそんな雰囲気が漂っていたと言います。話すことがなくなったことで自然と震災の記憶に蓋を閉じるようになり、防災についての関心も薄らいでいきました。

髙橋さんが通っていた小佐野小学校と海の位置関係

そんな髙橋さんを防災の道に導く出来事がありました。高校生の時、学校の課外活動に参加し、釜石市内の内陸部に住んでいた友人が防災について発表している際に不意に放ったひと言がきっかけでした。

「あの日、私が海の近くにいたら生きていたのかな」

髙橋さんは、この問いかけを決して他人事とは思えなかったと言います。というのも、震災時に髙橋さんがいた小学校も海から5キロほど離れていて、自身も津波を
見ておらず、その直接的な被害を経験していません。

釜石市の根浜海岸で高校生時代について話す髙橋さん

「どう逃げたらいいかもわからなかったし、怖くて動けなかったかもしれない。海の近くにいたら、命を落とす子どもの一人になっていたと思う」

震災前は、津波に関しての防災教育を受けたことがなく、津波がどんなものかも理解できていませんでした。改めて震災について見つめ直す中で突き付けられた“知らないことの怖さ”。

「誰もが、どこにいても津波から生き延びられるようになってほしい」

その思いを結実させるために、防災を呼び掛ける立場になりたいと考えるようになりました。