父親と2週間連絡がとれず…初めて“身近な人の死”を連想

その後は自宅で避難生活を続けた髙橋さん。ガス・電気・水道が一切使えない中、しばらくの間、母親と祖母がカセットコンロを使って温めたご飯を食べていました。なんとか食料は確保できていましたが、一つ大きな不安がありました。震災後、別の場所にいた父親に何度電話をかけても応答がなかったのです。

避難所や安否が確認できる施設をくまなく回りましたが、当時父親が働いていたのは、大規模な“津波火災”に襲われた地域である山田町。「巻き込まれてしまったのではないか」。そんな考えも頭をよぎりました。

結果的に2週間後、父親の無事も確認できましたが、髙橋さんは当時の心の揺れ動きを鮮明に覚えていました。「今まで感じたことがない不安で、生きているかも死んでいるかもわからない、初めて“身近な人の死”を覚悟した出来事でもあった」。