東日本大震災・東京電力福島第一原発の事故から間もなく12年。

震災で家族3人を亡くした福島県大熊町の木村紀夫(きむら・のりお)さんは、原発事故で帰還困難区域となった故郷を離れ、長野県白馬村で避難生活を送りました。
2019年に福島県に戻った後、立ち入り制限が続く大熊町で、伝承活動を続けています。

いま、原発の町で伝えたい思いとは。


(木村紀夫さん)「ここに街灯あったんだけど街灯もなくなって…電柱はそのまま残っているけど」「何があったんだか、さっぱりわからない」


震災後、長野県白馬村で避難生活を送った木村紀夫(きむらのりお)さん。

ふるさとの福島県大熊町は、原発事故で帰還困難区域になっていました。


2022年6月、住民のおよそ6割が暮らしていた町の中心部で規制が解除されましたが、ほとんどの建物を解体して、新しい町を作る「復興事業」が進んでいます。


(木村さん)「(規制が)解除されるというのはそこで生活できるのと同時に、震災前のここでの営みが全部消えてしまうってことでもあるっていうのを、これを見ると痛感します」

「でも復興ってそういうことなんだろうなと思います。それを含めて復興なんだと考えると、それによって、逆に言うと取り残されていく人が多いんじゃないかと思う」


木村さんの自宅は、大熊町の沿岸部、東京電力福島第一原発からおよそ3キロの場所にありました。


地震が起きたとき、自宅に戻った3人が津波にのまれます。
その後、妻と父親は遺体で見つかりますが、当時7歳の次女 汐凪(ゆうな)さんは行方不明のままでした。


木村さんは、避難先の白馬村から、毎月、捜索に通います。


遺骨の一部が見つかったのは、5年9カ月後、自宅の近くでした。


『原発事故で避難指示が出なければ助けられたかもしれない…』

その思いがぬぐえません。

2019年3月、福島に戻り、大熊町の近くで暮らしています。


(木村さん)「俺が死んでからね、一緒にお墓に入るかどうかは、まだ決めてないですけど、生きている間は一緒に手元に置いておくつもりです」

2月24日、自宅がある帰還困難区域に向かいました。