太平洋戦争中に航空機による特攻で戦死した人は、陸・海軍あわせておよそ4000人とされています。

又之さんのおい・淺川利夫さん:「これが…又之の(お墓)。少尉で亡くなって2階級特進で」
又之さんが心の支えとしていた、北アルプスのふもと。ただここに、遺骨はありません。
又之さんのおい・淺川利夫さん:「日本の国民が90%くらい戦後生まれの人になっているので、そういう時代があったということをね、みんな考えて知ってもらいたい」
又之さんのことを直接知る人も少なくなる中、80年間大切に保管されてきた手紙や日記、写真などは、当時を知る、貴重な資料です。
又之さんのおい・淺川利夫さん:「ハーモニカを俺にやってくれって」
出撃の数週間前、「利夫ニヤッテクレ」という走り書きとともに送られてきたハーモニカです。
又之さんのおい・淺川利夫さん:「子どもの頃は夜にずっと吹いたりして、歌、メロディーを知っているのは自分で音を探しながら吹いていた」

家族を思い、国を思い、その先に平和な世界があると信じて飛び立った、淺川又之さん。その思いが、80年後の今へとつながっています。
淺川又之さんの書いた手紙や、おいの淺川利夫さんが形見として受け取ったハーモニカなどは、安曇野市の豊科郷土博物館で10月5日まで開かれている企画展で、展示されています。