SBCでは東日本大震災で家族を失い、原発事故の影響で長野県内に避難した男性の取材を続けてきました。
震災から13年、災害を語り継ぐ活動を続ける男性が、後世に伝えたいこととは。
木村紀夫(きむらのりお)さん:
「あの建物が、ああなってしまうような津波が、ここを襲ったということですよね」
震災後、長野県で避難生活を送った木村紀夫さん。
5年前、福島に戻り、伝承活動に取り組む大熊未来塾を立ち上げました。
今も、原発事故で立ち入り制限が続く大熊町の帰還困難区域を、被災体験を交えてガイドしています。
自宅は福島第一原発からおよそ3キロ。
津波で流され、全壊しました。

母親と長女は無事でしたが、地震の後、自宅に帰った父親と妻、次女の3人が、津波にのまれます。
翌日、原発事故で、住民に避難指示が出され、捜索していた警察や消防も全員が退避。
木村さんは、苦渋の決断を迫られました。
木村さん:
「冷たいと思われるかもしれないけど、その時コロッと意識が変わっちゃったんですよ。長女を何とかしなければならない。躊躇なかったですね」
行方不明の3人をおいて、避難せざるを得ませんでした。
震災から1か月が過ぎ、妻と父親は遺体で発見。

しかし、次女の汐凪(ゆうな)さんは、行方不明のままでした。