80年経った今も残る 岡山の「疎開先の家」【画像あり】

その空襲からほどなく、倉本さんの家族は、親戚の伝手を頼り岡山に疎開しました。

(倉本聰さん)
「瓦を載せた築地(塀)が、ずっと広く囲んでいる廃屋みたいなのがあったんですよ。それを借りてそこに住み込んだんですね」

疎開したのは、岡山県浅口市金光町大谷。瀬戸内海が近く、南北を山並みに囲まれた地域で江戸時代に興った宗教、金光教の門前町としても知られます。

倉本さんは、谷筋を入った地域にある空き家【画像⑥】に移り住みました。その家は、80年経ったいまも大切にされています。

【画像⑥】

(戦後移り住んだ鈴木幸一さん)
「土塀があったのがここら【画像⑦】だったですね。ここがこれくらい【画像⑧】の土塀があってここ【画像⑨】が分かれて出入りできる。土塀が長屋門の手前まで続いていました」

【画像⑦】
【画像⑧】
【画像⑨】

こっち【画像⑩】は大きな庭だったんですね。松が何本もありました。大きな屋敷だったようです」

【画像⑩】

ここでの暮らしは、東京育ちの倉本さんにとって印象深いものでした。

(倉本さん)
「着いたその日に親父が『山へ行こう』って言って、すぐ裏が山だったんで、山菜を春でしたから採って、『これは食える、これは食えない』って、親父は詳しかったですね。そういうのにね。いきなり自然の中の生活に入ったわけですね」