戦後80年です。「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰さんは、戦時中、岡山県浅口市金光町に親戚を頼って疎開していました。その経験が、ドラマの脚本に生かされているといいます。
少年時代を戦争に翻弄された倉本さんに、いま、伝えたい想いを聴きました。
東京大空襲「下町が真っ赤になるのを防空壕から眺めてた」
(倉本聰さん【画像①】)
「家の上を毎日B29の編隊が飛んでいたんですよ。だからその雑然たる東京から行きましたから、岡山はのどかでしたね」

日本を代表する脚本家であり演出家の倉本聰さん。太平洋戦争末期、東京から岡山に疎開していました。
現在の拠点は、北海道・富良野市。倉本さんが脚本を手がけたドラマ「北の国から」のロケ地として知られ、国の内外から観光客が訪れています【画像②】。
倉本さんは1977年に移り住み、ドラマや映画・舞台の創作を続けています(演技指導の様子【画像③】)。


倉本聰さんは1935年、東京に生まれました。本名は山谷馨(やまやかおる)。5人兄弟の次男でした【画像④】。

倉本さんが6歳のときのことです。日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まります。1945年3月、東京大空襲。倉本さんは10歳でした。
(倉本聰さん)
「僕、杉並だったんでね。下町のほうが真っ赤になっているのを防空壕から眺めていたっていう。あまりの騒々しさと、とにかくえらいことになっていたんですよ。空が真っ赤でね」
