「こんな子が生まれたことが不幸」踏切へ何度も行ってみた
「兄には将来大きな幸せが来る。それに比べて、弟の私は、小さいときから病気になって、親は苦労し心配をかけた。この家にこんな子が生まれたことが不幸だった」

「お父さん、お母さん、僕が生まれてきてごめんね...いない方がましかと思って。岩田町(岡山市)のところには当時、踏切がありましたから、そこへ何度か行ってみた」

「あのとき『お前のような子は、いらん』言われたら、線路に飛び込んだかもしれんね」
「ただ私の親は違うたんですよ。こんな私をエリートの兄と同じように、いやそれ以上に、私のことを大切に、大切に育ててくれた。そんな親を悲しませるわけにはいかなかったんですよ」

障害のある子を隠す時代 竹内さんの父は違った
当時は、障害を持つ子供を家の中に閉じ込め、隠すような時代。しかし、竹内さんの両親は違いました。特に、警察官だった父親は、竹内さんを積極的に外に連れ出しました。

「元気な人と同じ経験ができるように、全部用意をしてくれたんです。今思えば、『よくやってくれたな』と思いましたね」
「私としてもそれは感じていたから、そういう親がずっと心配しているわけですから、私は親を安心させたいと思っていました」
