今期での勇退を表明した熊本県の蒲島知事が、これまでどのように出馬を表明し、『県政史上最長』となる4期目まで支持をつなげてきたのか、これまでの歩みを振り返ります。

私のすべての夢とネットワークと運を熊本のために尽くしたい

今から15年前。蒲島知事誕生への一歩はこの言葉から始まりました。

蒲島知事(当時候補)「私のすべての夢とネットワークと運を熊本のために尽くしたい」

蒲島知事の最初の公約は「県職員の意識改革や企業誘致強化」でした。

蒲島陣営事務所「万歳!万歳!!万歳!!!」

知事選史上最も多い、候補者5人による乱戦を制し1期目をスタートします。

それから4年。2011年12月5日の県議会で2期目を表明。

蒲島知事「熊本県民の幸福量の最大化、そのために全身全霊をささげる覚悟であります」

1期目には県議会最大会派・自民党の反対を押し切って「川辺川ダム建設の中止」を表明しましたが、自民党は2期目への選挙も知事をバックアップ。総力戦で再選を果たします。

3期目の出馬については逡巡する姿も

蒲島知事「清正公さんの方がいいか、権不十年かどちらが正しいか…」(2015年7月9日の定例会見)

加藤清正が肥後を統治した12年間になぞらえて3期目に挑むのか、権不十年(けんぷじゅうねん)という言葉を残し2期で勇退した元県知事の細川護熙さんにならい出馬しないのか。