憧れた熊本工業に甲子園を絶たれた

九州学院高校では1年夏からベンチ入りした蒔田投手。しかし、甲子園とは縁がないまま迎えた3年夏は、熊本大会決勝まで勝ち進むも、決勝では熊本工業に同点の9回に勝ち越しを許し、甲子園出場を逃しました。

蒔田投手
「前提として、熊本の高校で野球をやりたいという気持ちがあり、熊本で甲子園に出るところというと、正直、熊本工業に行きたかったんです。あの伝統のグレーのユニホームを着るので頭がいっぱいで、オープンキャンパスも熊工しか行っていませんでした。ただ、工業高校となると、勉強の面で不安が…理数系が得意じゃなかった。それで九州学院に進みました。でもその熊工に最後の夏は負けてしまいました。今考えれば熊工に行っておけばよかったですよね(笑)」

蒔田投手
「ただ確かに自分が高校の時の練習の取り組み方を考えてみれば、甲子園に行くのに値しなかったなとも思います。その不完全燃焼というか、もう1回『大学でやってやろう』という気持ちを持って甲子園で活躍してきた選手たちがたくさんいる明治に入ってきたので、まだまだ野球を頑張ろうと思えたきっかけになった高校3年間でした」