ただの奇祭ではない
祭りの始まり、意義について民俗学が専門の熊本大学の山下裕作(やました ゆうさく)教授に聞きました。
民俗学が専門 熊本大学文学部 山下裕作教授(58)
「春に水路をきれいにして水源地である池もきれいにして、水の通りを良くする。 これから田仕事が始まる。頑張らないといけない。そのお祝い事と神様に豊作を祈るということ。いろいろな意味があったと思う」

鮒取り神事について山下教授はただの奇祭ではないと強調します。
山下教授「日本人が普段食べていたもの、そういったものを神事に持ち込んで共に祝うというのは、奇祭というよりもこの地域の人たちが一生懸命担っていた農業の一環の行事、農業をやる人たちの喜び」

特に、干拓地が多い八代では川魚、フナとの結びつきは強く、それが伝統として現代まで脈々と受け継がれたと言われています。
