ミャンマー政変の取材を担当、目の当たりにした国軍の残虐性

クーデターが実行された当時、私はJNN外信部の記者として、RKBバンコク支局に赴任していた。
コロナ禍の真っ只中であったうえ、実権を握った国軍がメディアへの監視を強めていたため、ミャンマーへの入国は困難を極めた。
現地で取材するために国軍との交渉を進めながら、バンコクから遠隔で情報を集め、原稿を書くというストレスの溜まる状態がしばらく続いたが、国内の状況がさらに悪化するのに時間はかからなかった。
国軍は、国民への武力行使という一線をいとも簡単に踏み超えた。そして私は、デモに参加した若者らが射殺されたという原稿を、毎日のように書き続けることになる。
SNSで拡散される、この世のものとは思えない残虐な弾圧の映像を数えきれないほど目にした。頭を撃ち抜かれ、糸が切れた操り人形のように倒れる若者。血まみれになった我が子の遺体を前に、絶望の叫び声を上げながら頭を抱える母親。テレビのニュースでは放送することのできない、そのような映像を見続ける日々に、冷静に記事を書いているつもりでいた私の精神は、気づかないうちに蝕まれていたようだ。夜に眠れなくなり、アルコールの力を借りて寝ついても1、2時間で気持ち悪い汗をびっしょりかいて目が覚めてしまう。
日中も、ふとした瞬間に弾圧の映像が蘇り、意識が途切れる。すると、たったいま自分が何をしていたのかわからなくなり呆然とする、といったことが度々起こるようになった。この症状は都市部のデモが制圧され、目につく形での弾圧が減るにつれ、徐々におさまっていったが、現在も時折悪夢にうなされて目を覚ますことがある。取材を通して垣間見ただけの私がこんな風なのだとしたら、当事者であるミャンマーの人々の苦しみはいったいどれほど深いのだろう。