口癖は「できるんよ、やろうと思えば」

監督の熊谷博子さんは、私(神戸)の友人です。私よりちょっと年上で、2016年から愛生園に通い始め、8年後の2024年、映画『かづゑ的』が完成しました。

映画『かづゑ的』を制作した熊谷博子監督

※熊谷博子(くまがい・ひろこ)
東京都出身。1975年より番組制作会社のディレクターとして、戦争、麻薬などの社会問題を追ったドキュメンタリーを多数制作。85年にフリーの映像ジャーナリストに。主な作品は以下の通り。『幻の全原爆フィルム日本人の手へ』(1982)、『よみがえれカレーズ』(1989、土本典昭氏と共同監督)、『ふれあうまち』(1995)、『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』(2005)=JCJ(日本ジャーナリスト会議)特別賞・日本映画復興奨励賞、NHK・ETV特集『三池を抱きしめる女たち』(2013)=放送文化基金賞最優秀賞・地方の時代映像祭奨励賞、NHK・ETV特集『原爆にさわる被爆をつなぐ』(2015)、『作兵衛さんと日本を掘る』(2018)

映画館で観客に話す熊谷博子監督

福岡市のKBCシネマで上映が始まっています。舞台あいさつの様子を取材してきました。

熊谷博子監督:主人公の宮崎かづゑさん。瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園に10歳からお住まいなんですが、2月7日で96歳になられました。大変にお元気です。かづゑさんは病気の後遺症で手の指が全て失われているんですが、絵を描かれてまして、絵筆をご自分で包帯で巻きつけて描かれた絵です。

熊谷博子監督:自分が両親、祖父母という家族からいかに愛されてきて、自分をいかにその家族を愛していて、自分がこの病気になったので悲しませてしまったことがつらい、と。ものすごくびっくりしてしまって。

熊谷博子監督:島に来るマスコミや見学者を含めて、「かわいそうなハンセン病患者」という前提で来る人たちに対して、かなり憤りを感じていらして。8年間撮らせていただいたんですけれども、口癖が「できるんよ、やろうと思えば」。行くたびに、かづゑさんのその言葉に励まされて、カメラとマイクを持ってかづゑさん・孝行さんの日常に伴走した8年間の結果が、映画になったということです。

熊谷監督は「この映画はハンセン病を背景にしていますが、決してハンセン病だけの映画ではありません。人間にとって普遍的なことを描いたつもりです」と話していました。非常に明るいのです。