母の遺品整理で受けた衝撃

子供のころのいい思い出がなかったもののさびしいと思うこともなかった洋子さん。「当たり前の家族感」が覆され、無自覚だった自分の気持ちに気づいたのは、母の遺品整理をした時だった。

小川洋子さん(54)「遺品の中から、子どもたちの思い出グッズ箱みたいなのが出てきたんですよ。蓋を開けたら、その中の9割が弟の成長記録や先生との連絡帳でした。私のは小学校3年生の連絡帳1冊だけだったんです。母の思い出の中で、私と弟の差が歴然としていて、溺愛された弟は天真爛漫に育っている。私は『お姉ちゃんだからしっかりしなさい』と厳しく躾けられ、’親亡き後’の弟のことで途方に暮れている…『この差は何なんだろう』って憤然としました」

思い返すと、褒められたのは当時住んでいた山口県下一の名門高校に入学した一度きり。就職が決まっても、社交ダンスの大会で良い成績を出しても、母に喜んでもらった記憶はない。

小川洋子さん(54)「その時に思いました。『ああ私は、知らず知らずのうちに母親に傷つけられていたんだ』って。母と自分の関係性のおかしさにようやくこの年になって気がつきました。私はいい子過ぎたんだと。」

洋子さんは、母が急逝する直前に初めて親子喧嘩をしたという。きっかけは洋子さんが持ち帰った「きょうだい会」のパンフレットだった。パンフレットに描かれていたのは、親や世間が期待する言葉に押しつぶされそうになっているきょうだい児のイラスト。それを見た途端、母は烈火のごとく怒った。「あなたはこんなこと考えていたの?!」と。

小川洋子さん(54)「今だから思うことですが、よくよく考えたら『私の人生って親亡き後、弟に縛られなきゃいけないの?』『どうして弟にやさしくしなきゃいけないの』っていう気持ちは、心の根底にはありました」

遺品にあった書類から、母が3人目の子どもを授かったにも関わらず中絶せざるを得なかったことも知った。母は生前、洋子さんに「もうひとり弟か妹がいたら一緒に面倒をみてくれるだろうに」と語ったことがあるという。

洋子さん自身はどう思っているのだろうか。

小川洋子さん(54)「いない方が良いです。私と同じ思いをする人が増えることになりますから」

洋子さんは、弟のことを『かわいいとは思えない』と言い切った。