被服支廠の近くに自宅があり、学徒動員でここで働いていたこともある被爆者の切明千枝子さんは、地獄のような当時の惨状を、かつてこう語っていました。

被爆者 切明千枝子さん
「足の踏み場もないような感じで、やけどの人とか学生さんとか。皆、うめいたりうなったり。今は何の香りもにおいもないが、その時は本当に汚物の臭いやら血膿の臭い」

広島の市民グループも爆風で変形した鉄の扉など、被爆の爪痕の残る被服支廠の保存・活用を訴えてきました。
保存を訴え続けた被爆者 故・中西巌さん
「この中でたくさんの人が避難して苦しみながら亡くなった。そのことが忘れられない」

しかし被服支廠の耐震化には多額の費用がかかることから4年前、県は一旦所有する3棟のうち1棟だけ保存し、残る2棟は解体するという方針案を示します。
湯崎英彦 広島県知事
「旧被服支廠は劣化が進行していて、震度6強の地震で倒壊、崩壊する危険性が高い」
