「骨まで残らないとはこのことか」原爆放射線に苦しめられ 若すぎる母親の死

原爆の惨禍を生き抜いた幸子さんは、やがて成長し2人の子どもにも恵まれました。
藤井哲伸 さん
「小さい頃は、やっぱり男の子ですからね。よく怒られていました。それと、わたしには遺言のように『芸能人になるな』と言っていました。だから、(舟入高校の)演劇部に入ったっていうのが言いづらくなって。たしか言ってなかったんじゃないかな」
幸子さんは、30代の頃から原爆の放射線の影響に苦しめられました。藤井さんが舟入高校に入学したころには、入退院を繰り返していたといいます。その1年後、幸子さんは42歳という若さで亡くなりました。
藤井さんは、病院から自宅に幸子さんが戻ってきても、母親の死を実感することはできませんでした。しかし、葬儀が終わり火葬場に着くと…。

藤井哲伸 さん
「『最後のお別れをどうぞ』と言われても、わたしは行かずに影に隠れて、わんわん泣いていました」
そして、悲しみに追い打ちをかけるように―
藤井哲伸 さん
「骨がね、形として残ってないんですよ。『原爆におうちゃった人は骨も残らん』という記述は、このことかって思ってね」
被爆から3日後に撮影された少女の写真が幸子さんと分かり、藤井さんの気持ちにも変化がありました。