「カープで育った日本の4番」カブス・鈴木誠也の活躍が止まりません。日本時間19日のレイズ戦で、初の4番に入り、2007年の岩村明憲(デビルレイズ)に並ぶデビューから9試合連続ヒットを記録。翌20日は、惜しくも記録更新とはなりませんでしたが、3つの四球を選び、11試合連続出塁をマークしました。出塁率は.581と、堂々の両リーグトップに躍り出ました。

世界最高峰の舞台、アメリカ・メジャーリーグへ飛び出した27歳の挑戦。日本でのプロ生活9年間でトップ選手に成長した本人の胸の中には、類まれなる向上心と、力と力のぶつかり合いを求める好奇心とが入り混じっていました。

渡米前、カープの先輩・新井貴浩さんのインタビューに、鈴木誠也が明かしていた「メジャーへの思い」とは。快進撃を続ける背景には、カープの4番として培った大切なものがあったのです。いま、改めて振り返ります。その後編をどうぞ。
(RCC「RED DREAMER 鈴木誠也~メジャーの星になれ~」制作班)

横浜での悪夢・・・選手生命の危機を乗り越えて


新井
2017年、2連覇した年。横浜スタジアムでフェンスに激突し、右足をけがした。そこからどんどん、プレーヤーとしても、人間としても、どんどん大人になっていったなと感じていたけど、自分にとってどんな影響があった?
(2017年8月23日、DeNA戸柱の打球をフェンス際でジャンピングキャッチした際に、着地で右足首をひねり骨折。長期のリハビリを経験した)

鈴木
あの時は4番を初めて務めて、いろいろな経験をさせてもらっていたんですけど、変に自分で自分を苦しめて、すごくイライラしていたなと思いますね。ずっと悩んでいたんですけど、時間が足りなさ過ぎて、野球のことで頭がいっぱいで。

で、長期離脱となったときに、病院でも自問自答していて。そこで、病気の子どもたちも一生懸命リハビリしているのを見て、好きなことをやっているにもかかわらず、なんで悩んでるんだろうなって、自分は小っちゃいなって思ったんです。そんな子どもたちよりも、もっともっと自分は頑張って、笑顔にさせてあげたい、そういう選手になりたいなって思って、そこからすごく考え方が変わりました。

正直、足首の骨折だったので、やった瞬間は「終わった」って思ったんですよ。音がもう・・・じん帯が「ブチッ」って切れる音がすごく耳の奥に残っていて。でも、そこで終わってしまうのは簡単だなって思ったので、逆にもっとすごくなって帰ってきて、「終わった」と思っているファンの人たちを驚かせようと、ずっと取り組みました。次の年も、患部は痛かったんですけど、その痛みに言い訳をして結果を出せないのはダサいなと思って、痛みに耐えてキャリアハイを出したらカッコいいなと切り替えて、何とかそのモチベーションで頑張れた感じですかね。
(翌2018年は、4番の地位を確固たるものとし、自己最多の30本塁打を記録。チームの3連覇に大きく貢献した)