被爆から5年が経った1950年。焼け野原に少しづつ建物が建ち始めたころ、卸問屋「山西商店」を設立しました。その11年後には、当時珍しかったスーパーマーケット「いづみ」をオープンさせました。
当時、広島市の人口は被爆した年のおよそ3倍の46万人。復興から発展へと向かう都市は活気にあふれ、1号店には、山西さんの想像を上回る人々が訪れました。
1970年代後半から事業拡大を進め、現在のイズミグループは年商5000億円を超える企業にまで発展しました。それでも、闇市で見た親子の姿、焼け野原から立ち上がろうとする人々の姿を忘れないよう、大切にし続けている商品が、干し柿です。
山西さん
「(干し柿は)商売の原点。どのようにしたらお客さんが本当に喜んで下さるんかなと。それが原点ですよね。干し柿を地下足袋や花嫁衣裳と換えてあげたら、お客さんはものすごく喜んだじゃないかと」


































