ヨルダンの人たちにとって ”平和” とは学ぶものではなく、暮らしの中で切に願っているもの…。わたしはそう感じました。


その思いをヨルダン国内でも共有するものとして、広島のお好み焼きに注目したのが、駐日ヨルダン大使です。


駐日ヨルダン大使 リーナ・アンナ―ブさん
「音楽が世界共通であるというように食べ物も世界共通です。もし、食べ物が歴史を語ってくれるのなら、伝えるのにこれほどいい方法はないですね」


原爆で何もなくなった広島で、わずかな食材を使って生まれたお好み焼き…。街の復興の歩みとともに今の形になったお好み焼きの歴史に、アンナーブ大使は強く心を動かされたのです。


駐日ヨルダン大使 リーナ・アンナ―ブさん
「ヨルダンの人たちは、広島で何が起こったのか、その中をどう勇敢に生き抜いたかを聞くべきだと思うんです」


「市居さんの作るお好み焼きによって、わたしたちは交流し、そして、歴史についても考えることができるでしょう」


大使の依頼を受けて、ヨルダンに向かったのが、広島市にあるお好み焼き店の店主・市居馨さんです。


この日は、現地の料理学校で講師を務めました。


いっちゃん 店主 市居馨さん(68)
「お好み焼きが進化していくのと、広島が復興していくのと、そのときのパワーになったのが、今のお好み焼き。そのお好み焼きでみんな、がんばって今のすばらしい広島になる」


生徒からは質問も…。


ヨルダンの料理学校 生徒
「お好み焼きはどのようにして生まれたの?」


市居馨さん
「原爆の後、何にもなくなった。占領軍から支給されたものがフラワー(小麦粉)。小麦粉を薄く引いて、グリーンオニオンはあったから、それを入れて。それではお腹いっぱいにならないから、入れたのがキャベツ。そういうものになって、おなか、いっぱいになるように」


ヨルダンの生徒たちもメモを取りながら熱心に聞いていました。


ヨルダンの生徒たち
「悲しい歴史があっても、お好み焼きが進化して、今の形になったということは、日本を前向きにする食べ物だったんでしょうね」


「原爆が投下された歴史はとても悲しいです。それと同時にお好み焼きの歴史を思い出すことで、どんなことが起きても、強く希望を持たねばという力が湧いてくるものだと思いました」