「子どもを殺していい理屈はない」。広島大学の研究員、嘉陽礼文さん(46)は語気を強めます。その手には、土にまみれた小さな遺骨。嘉陽さんは、個人の活動として被爆者の遺骨・遺品の発掘調査を実施しています。3月、広島市沖に浮かぶ似島(広島・南区)で実施した調査で見つかったのは、幼い子どもの遺骨でした。広島市街地からもその姿を確認できる似島。そこでは80年経ったいまも、被爆者の遺骨が見つかっています。

広島市沖に浮かぶ似島。自然豊かな島には、観光客らも訪れます。しかし、戦前には、陸軍の検疫所が設けられていました。検疫所では、戦地から帰還した兵士が伝染病にかかっていないか調べたり、消毒したりしていました。

しかし、1945年8月6日。広島に原爆が投下されると島の様子が一変します。

似島に住む田中圭子さん(92)は、8月6日午前8時15分、似島にある山の上にいました。

田中圭子さん
「ドンだけ聞こえた。何の音かわからん、ただドンだけ聞こえた。広島が燃えて、火の海になっているのを、山の上から見たのを覚えている」

しばらくすると、広島市から負傷者が運ばれてきました。

田中圭子さん
「みんな手をおばけみたいに、やけどして…。おそろしかった」