長生さんの最期の姿… 母はどんな思いだったのか?
長生さんは作文に「将来は大君の御ために1日も早くこの命を捧げたい」と記していました。

洋子さんは、兄が亡くなった時の様子を、今もハッキリ覚えています。
豊島長生さんの妹 永町洋子さん
「『お母さん起こして』って寝てたのを母が抱いて起こしたら、そしたらいきなり君が代を歌い始めた。それもはっきりと。歌って歌い終わったら気持ちがスッキリしたよって言って。言って間もなくもうすっと。それだけは残ってます頭に。あれは忘れられませんね。だから私は歌わない。黙ってる。それを歌うと涙が出てきます」
スタッフ 佐藤優さん
「これが8月6日当日、豊島長生くんが着ていた服になります」
この日学生服は、東京都渋谷区に。核兵器についての勉強会で、実際に使用されたらどうなってしまうかを見せました。

フランス紙の記者
「洋服を見たら、過去と現在のリンク(つながり)がすごく強くわかります」
参加した親子
「あんなボロボロになると思ってなかった」
「こんなに近く、ショーケースの中じゃないっていうのは、インパクトがあるというか、訴える力があると思いました」
原爆について、何で知るか…本を読んだり絵を見ることもあると思いますが、こうやって現物を目の前にすることは、かなりリアルな体験となり、身近に感じたり、イメージが膨らんだりするのではないでしょうか? しかもこちらの遺品は、東京を拠点に色んな場所に、「出張する」仕組みです。
去年は八王子平和・原爆資料館から19カ所に貸し出されました。の搬を各自でやれば、基本的に費用は無料です。今後、直近では、4月2日~17日、立川市の立川市柴崎学習館に展示される予定です。
八王子平和・原爆資料館では、今回、妹さんから聞き取った内容や、遺されT手紙などからわかることをまとめて、学生服の展示に活かしたい考えです。
また、洋子さんの息子さんは今、家族伝承者となるために勉強中で、母と、その兄のことも伝えられたら、と話してます。
なお、遺品を扱う際に素手で行っているのは、手袋の着用により繊維と繊維が擦れて劣化が進むことを防ぐためで、キレイに洗った状態で取り扱っています。