小学校生活の始まりとインフルエンザ感染・・「代われるものなら代わってあげたい」【意見陳述全文】

亡くなった児童が使用したランドセル

2年生に進学した2019年。9月の4週目は、水曜日まで学校を休んだ後、木曜日と金曜日は、3時間目以降の時間を小学校で過ごしました。

土曜日は、学校はお休み。1日中自宅で過ごしました。29日の日曜日の朝、高熱が出たため、病院に行ったところ、インフルエンザとの診断でした。その後は、あっという間に重症化しました。

息子は、数えきれないほどの点滴や注射に耐え、必死にウイルスと闘ってくれていました。それにもかかわらず、次第に笑顔は消え、目を開けることもなくなりました。内蔵の機能が低下していき、顔がむくみ、手足も腫れていきました。顔の色も今まで見たことのない鉛のような色になっていきました。

医師からは「会わせたい人がいれば、早いうちに」と言われました。祖父母が駆けつけ、「代われるものなら代わってあげたい」と涙ながらに声をかけていたことが忘れられません。

最期は、家族が見守る中、息を引き取りました。
わずか8歳でした。

息子は、右半身麻痺のために一人で移動することが出来ず、行動範囲がとても限られていました。

担任の先生に続いて、小学校内でクラスターが発生していました。息子が小学校の他に唯一立ち寄ったデイサービスの施設ではインフルエンザ感染者は全くいませんでした。ですから、息子のインフルエンザ感染は小学校内で起きたことに間違いありません。

ところが、小学校は、自分たちに責任はないということを強調し、息子が亡くなったことは『知らない、分からない』と言うばかりでした。

私たちは、小学校や先生を責めるつもりは全くありません。ただ、小学校内の感染で息子の尊い命が失われたことを認めていただきたいのです。そして、息子のようなハンディのある子どもたちが、より安全に小学校生活を送るためにはどうすべきかを考えて欲しい。息子のような子が二度と出ないように、改善すべきことがあるならば工夫して頂きたいのです。

小学校内での感染であることを一向に認めない小学校の対応を目の当たりにする中で、息子が蔑ろにされているような気持ちになっていきました。息子という子どもがいたことに向き合ってもらえていない。過去のこととして忘れられようとしているように感じました。

そのことがどうしても辛く、同じように学校事故で子どもを失った遺族の会に参加するようになりました。その中で、『息子が生きた証として、スポーツ振興センターへ災害共済給付金の請求をしてはどうか』とアドバイスを受けました。『小学校での感染であることがきちんと認められれば、今後、息子のように感染症に弱い子どもに対する対策も、進歩するかもしれない』とも言ってもらいました」

息子はたくさんの大病をしましたが、これを乗り越え、精いっぱい生きていました。精いっぱい生きようとしていたことを認めてもらいたい。息子が生きた証を残したいという気持ちで、共済金の手続きを始めました。