
筆者は “クウォーター" の報道記者 米兵だった祖父は沖縄から消えた
1960年代、米統治下の沖縄。
多くの県民が働き口を求め、米軍基地で働いた。時はベトナム戦争真っ只中。沖縄は米軍の後方支援基地となった。豊かな森 “ヤンバル” はベトナムでのゲリラ戦の軍事演習に利用され、訓練を受けた兵士がひとり、またひとりと戦地へ旅立って行った。
当時、沖縄はベトナムから「悪魔の島」と呼ばれていた。
筆者の祖母、島尻和枝(85)は宮古島で生まれた。本島の大学で英語を学び、1960年代当時は、浦添市にある米軍基地で軍雇用員として働いた。ベトナムに物資を送る部署だった。
そこで出会ったのが、筆者の祖父、アーモンド・リー・キャンプ、当時22歳。
「リー」と呼ばれた祖父は明るい性格だった。控えめな祖母と惹かれ合い、恋をした。ほどなくして子ども2人をもうけた。








