大分空港で2022年中にも打ち上げが始まるアジア初の水平型宇宙港。5年間の経済波及効果は100億円を超えると試算され、世界中の注目を集めています。

大分から宇宙を目指す挑戦は実は250年前にもありました。江戸時代の1734年、当時の杵築城下で生まれた麻田剛立。麻田は5歳から天体に興味を持ち始めると天文学に没頭していきました。


(きつき城下町資料館一瀬勇士学芸員)
「母親から天文学を熱中しすぎるな、ばかになるよと言われていた」

幕府が陰陽道や風習を取り入れて暦を作っていた時代、麻田は観測や計算に重きを置き、科学的な天文学を独自に取り入れる先駆者でした。豊後の三賢人と言われる三浦梅園が麻田に送った書簡では、幕府の暦にない日食を麻田が予測し、見事的中させていたことが記されています。

思想家 三浦梅園が麻田剛立に送った書簡


(きつき城下町資料館一瀬勇士学芸員音)
「麻田剛立が月面を観測したスケッチ画で、今確認されている資料としては最古の月面観測図といわれています」

麻田剛立の月面観測図写


38歳で脱藩した麻田は、日本人で初めて反射望遠鏡で月面のクレーターを観測したとされています。その後は大阪で「先事館」という天文塾を設立。麻田学派の一門は寛政の改暦に起用されたほか、正確な日本地図を作り上げた伊能忠敬も孫弟子にあたります。

天文学のパイオニアだった麻田剛立の功績は国際的にも認められていて、月にもクレーターアサダの名前が残っています。月の東半球に位置する「豊かの海」。すぐそばに「クレーターアサダ」があります。月のクレーターにはコペルニクスやアインシュタインなどの名前もあり、国際天文学連合が世界の名だたる学者として麻田を認めた証です。

クレーターアサダ


(よこだけキララ館清水清美天文台長)
「日本人で月のクレーターに名前があるのは10人います。そのうち、月の表面には2人、そのうちの1人が麻田剛立で、天文学などに強く寄与されている評価が高いと思われます」

5月7日、杵築市内で開かれた天体観察会。天体望遠鏡をのぞく子どもたちは250年前の麻田と同じように宇宙の魅力にどっぷりと浸かっていました。

天体観測会


(参加した子ども)
「少しだけしゃがんでみるとすごかった」
「クレーターに麻田剛立さんの名前があるなんて知りませんでした。もっと宇宙に興味がわくことができました」

(きつき城下町資料館・一瀬勇士学芸員)
「宇宙というものが私達の生活に身近な存在として受け入れられていく。その下地にはやはり250年前に麻田剛立の活躍があって、知恵や工夫が詰まっているので、これからが非常に楽しみ」

250年を経て再び始まる大分から宇宙への挑戦。かつて麻田剛立が思い描いた壮大な夢の物語は今も続いています。