土俵での救命行為と皇室のあり方
伝統の中で「何を変えず、何を維持するのか」、そして「何を変えるべきか」を見極めることは容易ではない。加藤氏はその重要性を示す例として、約8年前に京都府での巡業中に起きた出来事をあげる。
土俵上で市長が倒れた際、観客席にいた女性医師らが土俵に上がって救命行為を行い、事なきを得た。しかし、会場からは「女性は土俵から降りてください」とのアナウンスが繰り返され、議論を呼んだ。
加藤氏は、女人禁制という伝統そのものはあっていいとしつつも、その根底にある「穢れ(けがれ)を持ち込まない」という昔の感覚や目的を見失ってはいけないと指摘する。
もし、あの場で市長が亡くなるような事態になれば、それこそが最大の「穢れ」である。守るべきは「目的」であり、本来の目的を見失ってルールを優先するのは本末転倒だと訴える。
この「本質を見極めたうえで伝統を重視する」という視点は、先の国会で行われた皇室典範の議論にも通じるという。
自民党の幹部が「2600年の男系男子の歴史」と言及したことに対し、加藤氏は、相撲では神話の世界と歴史を区別しているのに、政治の世界では神話と歴史と科学、さらには皇室という日本にとって大事な存在の意義までもが混同されていると指摘する。
相撲が長い歴史の中で外国人の横綱を受け入れるなど柔軟に変化してきたように、皇室の議論においても「本当に残すものは何なのか」を整理する必要がある。
現在の皇室が国民から身近に感じられ、愛子さまを含めて広く愛され、敬われている現状を踏まえれば、象徴として残すべき本質は「国民との距離」や「敬愛の念」にあるのではないかと加藤氏は提起する。






















