「最初は3、4日分の荷物で帰れると思っていました」と振り返る愛子さん。しかし、告げられた病名は『急性骨髄性白血病』。過酷な闘病生活の始まりでした。
母・愛子さん
「衝撃すぎて、すごく不安な顔をしてしまったんです。そしたら、つむぎが『つむ大丈夫かな?』と言って。一番不安なのはつむぎであって、親がこんな顔しちゃいけないなと思い、本当に申し訳ないなって…」
つむぎちゃんは小さな体で抗がん剤治療に耐えました。治療中は毎日のように輸血が必要で、入院した8か月でその量は10リットルに及びました。名前も知らない人たちの善意によって命が支えられていたのです。

母・愛子さん
「献血袋を見たら沖縄、愛媛、福岡、熊本と書いてあって、すごくありがたいねっていう話をしていました」
父・遼太さん
「輸血をしているとき、つむぎが命をもらっていると感じました。無縁だと思っていた世界なのに、いろんな人に支えられているんだと気づきました」






















